続けて書くのもなんだかなぁ・・・、とも思ったけど。
その気になった時に書かないと、またひと月ふた月経っちゃうだろうし。
書く気も失せるかもなので、書きます。
長くなっちゃうし、悪口ばかりになるので、読みたくない人はスルーしてください。
これは私の日記なので、書きたい事書いてすっきりしたいので。
書く事で、ますます怒りや悲しみが増幅する恐れもありますが・・・。(汗)
まずは私の事を書かないと、じゃないと何が言いたいのか分からないので。
実は私、25歳の時に子宮筋腫になりまして手術しました。
その時はまだ未婚で将来もある事だし、って事で筋腫核出術で子宮温存しました。
ただ、それから中々結婚できずで、29歳で結婚して翌年には再発が発覚し再手術。
この時も妊娠を望んでいたので核出術で子宮温存しました。
ただ、右の卵巣はチョコレートのう腫で半分切除、卵管は癒着があって詰まってました。
なので、翌年腹腔鏡で癒着をはがすのと卵管を通す手術をしました。
癒着はうまくはがれたのですが、卵管は不通で左側の卵巣だけを頼みに、
今言われてる「妊活」の「不妊治療」を始めました。
タイミング法でも妊娠はせず、人工授精でも妊娠はしませんでした。
何せ片方の卵巣しかないので、排卵のチャンスは人の半分、時間は人の倍かかりました。
うまく着床するためのホルモン剤の注射などで、残った筋腫が大きくなる可能性大ですが、
それ以上に子供を望んでいたので、ずっと治療を続けてました。
そろそろ「体外受精」を考える方向でと医師に言われ、
「そこから先は神の領域なので。」と主人と私の意見も一致したので子供を諦め、
巨大化した筋腫を切除するため、子宮全摘で最後の手術を受けました。
結婚してからは離れていたとはいえ、ずっとこの様子を見て聞いていた母なんですが。
ここから母の事書きます。
最初の手術後、ふた月くらいして母が、
「言わんとこうと思ってたけど、子供産めても1人が限度なんだって、
それも帝王切開でしかだめって言われた。」
と言いました。
「えぇ?!」
そう言う事って、術後すぐに言ってくれるもんじゃないの?
だって、私の体の事じゃん、私の将来に関係ある事じゃん、自分で知ってなきゃじゃない?
なんで、言わんとくっていう選択になるの?って思いました。
手術して半年後くらいに、いとこが消防士の方を紹介してくれました。
つきあってふた月くらいして、いとこが私がそう言う手術をした事を何気に話したそうで、
「僕は子供が欲しいから別れたい。」と言われました。
悲しかった・・・、ちょっと好きになりかけてたし。
それから一年して、適齢期を過ぎた頃、母の知り合いが見合い話を持ってきまして。
見合いする気もなかったので、写真を見てあーだこーだと難癖つけてると、
「あんたは手術してかたわ(差別用語だったらすみません)みたいなもんなんだで、
あーだこーだ文句言える立場じゃないんだから、もらってくれる人がいるってだけで、
ありがたいと思わんといかんのだよ。」
と言いました。
そういう事言うのかと、唖然となりました。
それからも、たくさん見合い話をもらってきては「見合いしてー、結婚しろ―。」言われ。
その頃4っつ下の人とつきあっていたので、見合いする気などまったくありません。
毎日毎晩、色々言われ続け辟易としていたのですが。
その4っつ下の人も、
「僕はまだ若いので、好きだけど結婚する気はない、それに長男だから跡継欲しいし。」
と言って、私から離れて行きました。
それから半年して、今の旦那と紹介で知り合いつきあって4か月でプロポーズされて、
10ヶ月で結婚しました。
この人もたぶん離れていくんだろうなと別れを覚悟で打ち明けると、
「子供のいない人生だっていいじゃんか。」
と言ってくれました。
結婚で母の呪縛からも離れられてほっとしてると、
次は自分か!?と、恐れをなした妹が1人暮らしを初めて母から逃げました。
結婚と同時に旦那が店を始めて、それからの何年かは仕事のプレッシャーが半端ない。
仕事を始めるに当たり、旦那のお世話になってる人から、
「初めの一年は、絶対子供なんて作っちゃいかんぞ、仕事の妨げになるから。」
なんて言われて・・・。
それでも不妊治療のプレッシャーとも闘いながらがんばっていたんだけど、撃沈。
結局子供はあきらめました。
それからしばらくして母に言われました。
「あんたが子供できなかったから、私には孫がおらんがね。
みんなランドセルだ、机だって楽しいそうに話してて寂しいわ。」
そうか、そうだよね、でも今更どうしようもない事言われても、仕方ないじゃんか。
妹に期待してよ、あっちは健康なんだし。
でも妹も、40近くなっても結婚の気配がなく、そんな妹の事を私に、
「戻ってきてでもいいから、一度結婚して欲しい、世間体が悪い。」
と言いました。
「戻ってきてでもいいって、なんちゅう事言うのよ。」
40過ぎて、やっと結婚した妹ですが。
「今さらだけど、やっぱり孫は無理だよねぇ。」
って、それをなんで私に言うのさ、本人に言えよ、本人に。
そんな妹も、数年前に子宮筋腫で子宮全摘しちゃいましたが。
未だに私に対して、子供がいたら、孫がいたらなんて事しゅっちゅう言います。
私も最初のうちは言われるたびに反論したり、傷ついたりしてましたが。
今はまた言ってるか!くらいで収まってます。
でも、母に言われて、「いつまでそんな事言うつもり?!」と、食ってかかった事がある。
この年になると、誰でも多かれ少なかれ病院通いしてると思いますが、
今日は歯医者、今日はクリニック、持病があるので今日は総合病院で検査があるとか言うと、
「体が丈夫なだけが取り柄のはずなのに、そんなやわな子に産んだ覚えないわ。」
生きてきた人生で色々変わって当たり前じゃんか、それに私の体。
親だからっていったいいくつまで、そんな事言うつもりよ!!
それに、本人は思いやりで言ったつもりも、私にはとんでもない言葉になったり。
8年前、飼っていた15歳のわんこが腎不全で亡くなった翌日、電話で話してて、
「いつまでもめそめそ泣いとったらいかんよ。」
って・・・。
「はぁー?!いつまでも泣いとったらって、昨日死んだばっかりだよ。
昨日の今日なのに、なんでそんな言い方するの?!」
言葉の使い方、分かってないのかもしれません。
そしてこの事を書こうと思ったきっかけの年末の喧嘩。
両親と子供三人の家族のお話をテレビでやっていて、それ見ていた母が、
「あ~あ、あんたに三人くらい子供がおったら楽しかったのにねぇ。」
って・・・。
いつもならやり過ごす言葉も、大みそかでバタバタしてる上に、旦那は風邪で寝込んでるし、
昼間にも色々口喧嘩した後だったので火がついちゃった私。
「はぁ~?!欲しくて欲しくてがんばって、それでもダメで諦めたのに、まだ言うか?!」
「思ったから言ったまでじゃん。」
「なんで人の気持ちも分からずに、そんな風に思った事すぐに口にするのよ!?
少しは相手の気持ち考えてもの言ったら?!」
って、思わず怒鳴っちゃいました。
そしたら、こっちも気も知らずにへへへって笑って、
「怒り納めか。」
って言いやがった、むっきーっ!!
不妊治療していたのはもう20年近く前なのに、未だに言われるとぐさっときます。
だって、どうしようもできない事だから。
いらなくて作らなかった訳じゃなくて、欲しくてもできなかったんだから。
母にしてみたら、何気に言ったつもりの言葉なんだろうって分かってます。
そんな事で怒らなくてもいいじゃない、っても思います。
でも、そばで色々見てきた母だからこそ、言って欲しくない言葉なんです。
どうしてこんな事で、そんなに怒るのって思うかもしれない。
でも、いくら親でもいっていい事悪い事あると思うので。
親でも、許せないのは許せないから。
その気になった時に書かないと、またひと月ふた月経っちゃうだろうし。
書く気も失せるかもなので、書きます。
長くなっちゃうし、悪口ばかりになるので、読みたくない人はスルーしてください。
これは私の日記なので、書きたい事書いてすっきりしたいので。
書く事で、ますます怒りや悲しみが増幅する恐れもありますが・・・。(汗)
まずは私の事を書かないと、じゃないと何が言いたいのか分からないので。
実は私、25歳の時に子宮筋腫になりまして手術しました。
その時はまだ未婚で将来もある事だし、って事で筋腫核出術で子宮温存しました。
ただ、それから中々結婚できずで、29歳で結婚して翌年には再発が発覚し再手術。
この時も妊娠を望んでいたので核出術で子宮温存しました。
ただ、右の卵巣はチョコレートのう腫で半分切除、卵管は癒着があって詰まってました。
なので、翌年腹腔鏡で癒着をはがすのと卵管を通す手術をしました。
癒着はうまくはがれたのですが、卵管は不通で左側の卵巣だけを頼みに、
今言われてる「妊活」の「不妊治療」を始めました。
タイミング法でも妊娠はせず、人工授精でも妊娠はしませんでした。
何せ片方の卵巣しかないので、排卵のチャンスは人の半分、時間は人の倍かかりました。
うまく着床するためのホルモン剤の注射などで、残った筋腫が大きくなる可能性大ですが、
それ以上に子供を望んでいたので、ずっと治療を続けてました。
そろそろ「体外受精」を考える方向でと医師に言われ、
「そこから先は神の領域なので。」と主人と私の意見も一致したので子供を諦め、
巨大化した筋腫を切除するため、子宮全摘で最後の手術を受けました。
結婚してからは離れていたとはいえ、ずっとこの様子を見て聞いていた母なんですが。
ここから母の事書きます。
最初の手術後、ふた月くらいして母が、
「言わんとこうと思ってたけど、子供産めても1人が限度なんだって、
それも帝王切開でしかだめって言われた。」
と言いました。
「えぇ?!」
そう言う事って、術後すぐに言ってくれるもんじゃないの?
だって、私の体の事じゃん、私の将来に関係ある事じゃん、自分で知ってなきゃじゃない?
なんで、言わんとくっていう選択になるの?って思いました。
手術して半年後くらいに、いとこが消防士の方を紹介してくれました。
つきあってふた月くらいして、いとこが私がそう言う手術をした事を何気に話したそうで、
「僕は子供が欲しいから別れたい。」と言われました。
悲しかった・・・、ちょっと好きになりかけてたし。
それから一年して、適齢期を過ぎた頃、母の知り合いが見合い話を持ってきまして。
見合いする気もなかったので、写真を見てあーだこーだと難癖つけてると、
「あんたは手術してかたわ(差別用語だったらすみません)みたいなもんなんだで、
あーだこーだ文句言える立場じゃないんだから、もらってくれる人がいるってだけで、
ありがたいと思わんといかんのだよ。」
と言いました。
そういう事言うのかと、唖然となりました。
それからも、たくさん見合い話をもらってきては「見合いしてー、結婚しろ―。」言われ。
その頃4っつ下の人とつきあっていたので、見合いする気などまったくありません。
毎日毎晩、色々言われ続け辟易としていたのですが。
その4っつ下の人も、
「僕はまだ若いので、好きだけど結婚する気はない、それに長男だから跡継欲しいし。」
と言って、私から離れて行きました。
それから半年して、今の旦那と紹介で知り合いつきあって4か月でプロポーズされて、
10ヶ月で結婚しました。
この人もたぶん離れていくんだろうなと別れを覚悟で打ち明けると、
「子供のいない人生だっていいじゃんか。」
と言ってくれました。
結婚で母の呪縛からも離れられてほっとしてると、
次は自分か!?と、恐れをなした妹が1人暮らしを初めて母から逃げました。
結婚と同時に旦那が店を始めて、それからの何年かは仕事のプレッシャーが半端ない。
仕事を始めるに当たり、旦那のお世話になってる人から、
「初めの一年は、絶対子供なんて作っちゃいかんぞ、仕事の妨げになるから。」
なんて言われて・・・。
それでも不妊治療のプレッシャーとも闘いながらがんばっていたんだけど、撃沈。
結局子供はあきらめました。
それからしばらくして母に言われました。
「あんたが子供できなかったから、私には孫がおらんがね。
みんなランドセルだ、机だって楽しいそうに話してて寂しいわ。」
そうか、そうだよね、でも今更どうしようもない事言われても、仕方ないじゃんか。
妹に期待してよ、あっちは健康なんだし。
でも妹も、40近くなっても結婚の気配がなく、そんな妹の事を私に、
「戻ってきてでもいいから、一度結婚して欲しい、世間体が悪い。」
と言いました。
「戻ってきてでもいいって、なんちゅう事言うのよ。」
40過ぎて、やっと結婚した妹ですが。
「今さらだけど、やっぱり孫は無理だよねぇ。」
って、それをなんで私に言うのさ、本人に言えよ、本人に。
そんな妹も、数年前に子宮筋腫で子宮全摘しちゃいましたが。
未だに私に対して、子供がいたら、孫がいたらなんて事しゅっちゅう言います。
私も最初のうちは言われるたびに反論したり、傷ついたりしてましたが。
今はまた言ってるか!くらいで収まってます。
でも、母に言われて、「いつまでそんな事言うつもり?!」と、食ってかかった事がある。
この年になると、誰でも多かれ少なかれ病院通いしてると思いますが、
今日は歯医者、今日はクリニック、持病があるので今日は総合病院で検査があるとか言うと、
「体が丈夫なだけが取り柄のはずなのに、そんなやわな子に産んだ覚えないわ。」
生きてきた人生で色々変わって当たり前じゃんか、それに私の体。
親だからっていったいいくつまで、そんな事言うつもりよ!!
それに、本人は思いやりで言ったつもりも、私にはとんでもない言葉になったり。
8年前、飼っていた15歳のわんこが腎不全で亡くなった翌日、電話で話してて、
「いつまでもめそめそ泣いとったらいかんよ。」
って・・・。
「はぁー?!いつまでも泣いとったらって、昨日死んだばっかりだよ。
昨日の今日なのに、なんでそんな言い方するの?!」
言葉の使い方、分かってないのかもしれません。
そしてこの事を書こうと思ったきっかけの年末の喧嘩。
両親と子供三人の家族のお話をテレビでやっていて、それ見ていた母が、
「あ~あ、あんたに三人くらい子供がおったら楽しかったのにねぇ。」
って・・・。
いつもならやり過ごす言葉も、大みそかでバタバタしてる上に、旦那は風邪で寝込んでるし、
昼間にも色々口喧嘩した後だったので火がついちゃった私。
「はぁ~?!欲しくて欲しくてがんばって、それでもダメで諦めたのに、まだ言うか?!」
「思ったから言ったまでじゃん。」
「なんで人の気持ちも分からずに、そんな風に思った事すぐに口にするのよ!?
少しは相手の気持ち考えてもの言ったら?!」
って、思わず怒鳴っちゃいました。
そしたら、こっちも気も知らずにへへへって笑って、
「怒り納めか。」
って言いやがった、むっきーっ!!
不妊治療していたのはもう20年近く前なのに、未だに言われるとぐさっときます。
だって、どうしようもできない事だから。
いらなくて作らなかった訳じゃなくて、欲しくてもできなかったんだから。
母にしてみたら、何気に言ったつもりの言葉なんだろうって分かってます。
そんな事で怒らなくてもいいじゃない、っても思います。
でも、そばで色々見てきた母だからこそ、言って欲しくない言葉なんです。
どうしてこんな事で、そんなに怒るのって思うかもしれない。
でも、いくら親でもいっていい事悪い事あると思うので。
親でも、許せないのは許せないから。
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